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welcome to my inner space

冬に聴きたくなる曲は切ない系が多い

通勤時やオフの日、最近よく音楽を聴いている。

ikuraちゃん(YOASOBIのボーカル)も歌ってたけど、「この世界はいつでもどこでも音楽で溢れてる」んですよね。当たり前のようにそばにありすぎて、もはや飽和してんじゃねって思うこともあったけど、まぁやっぱシンプルに音楽(というか言葉?)に助けられることもある。そしてふいにむかし聴いてたものを聴きたくもなる。

 

このあいだ久しぶりに雪が降って、「んー雪が降るとglobeかマッキー(槇原敬之さん)だよなぁ」と思った。場面に応じて聴きたくなる曲もあります。

 

で、ここのところひたすらマッキーを聴きまくっている。小学生の頃母親が家でかけてるのを一緒に聴いて衝撃を受けて以来何度も聴いてるけど、やっぱりいつ聴いてもぐっとくるものがある。槙原敬之という人は、ほんとうに天才的なソングライティング能力を持っているなぁと。まぁ覚せい剤のニュースも見たことはあるけど、だからといって彼の作った曲に罪があるわけではない。

 

マッキーの雪に絡む曲はけっこう多いと思うんだけど、わたし的に一番気に入っているのが「I need you」だ。(アルバム「UNDERWEAR」は名盤なので、マッキー気になる人は絶対に聴くべきやと思う)

20代くらいまではただただ切ない歌詞だなぁと思っていたのだけれど、ここ数年はこの曲のなかの「相手側」(つまり主人公の僕が恋をしている相手)に対してちょっとした不満を感じる。思わせぶりな態度を取るから、その術中に僕がハマってしまっているわけで。意識的なのか、無意識なのか?小悪魔って言い方は可愛いけど、なんかそういう人ってリアルな世界では最終的にきらわれて終わりじゃね?っていう。まぁでも、この相手とのふわふわした関係性であるからこそ成立する曲なので。結局この曲自体はとても好きです。恋する切なさを描かせたら、マッキーはやはりプロである。

 

個人的に槙原氏の後継者として、わたしは森大輔さんというアーティストを推している。(あくまでも個人的な意見)

テレビに出ない人なので知る人ぞ知る状態なんだけど、めちゃくちゃ才能のあるシンガーソングライターである。久保田利伸さんと同じ事務所なので、初期はR&B色が強かったんだけど、ポップスもよく作っている。人への楽曲提供もわりと多い。

裏方的な存在になっちゃってるのがけっこうわたしとしては歯痒いだけど、まぁ事務所とか自分自身の考え方でそういうふうにしてるんなら仕方はない。でもなー、もっと自分のためにも曲作ってほしい。で、また代官山でライブやってほしい。

 

森さんもけっこう切ない曲があるんですよね。「一度だけ」とか「Gimme Gimme」とか。「Time To Go」とかもそうか。明るくて楽しい曲も良いけど、寒い時季ってなぜか切なくて胸がしめつけられる曲の方が聴きたくなる。自分で自分を痛めつけてるわけじゃないけど、ある意味共感できるっていうところで心の痛みを昇華してるのかもしれない。

 

動画を見るのもいいんだけど、じっくりと曲の世界観に包まれる時間もまた癒しだ。

 

 

不調なときほど料理をした方が良いのかもしれない

ここ最近どうも調子が悪い、気がしている。

人と衝突したり。滑って転んで脚にひどい内出血ができたり。変な人に絡まれて苛立ったり。耳掃除をしすぎて綿棒に血が染みたり。

 

何故だか「顔が疲れてない?」と言われることも多い。

この言葉をかけられると、いつも内心苛々してしまう自分がきらいだ。心配してもらえるうちは良いと思わなくてはならないだろうけど。自分の不幸なんて他と比べて俯瞰してみれば大したことないんだと喚く人もいるだろうが。人間なんて所詮こんなもんだと思う。心によゆうがあるからそう思えるわけで。クサクサしてる気分のときの正論ほど意味のないものなんてない。正義や正論なんて、所詮は「主観」なのだ。そんなものはバカボンなのだ。(は?)

 

苛々するときや不調だなというときは、不味い酒をたらふく飲みながら、きのこ生えそうなくらいジメジメしたあとでたくさん眠るというのがわたしのやり方だ。

回復はしないけど、目覚めたら多少はすっきりしている。そしてなぜか料理をしたくなる。料理っていうか、野菜をぶった切りたくなる。めっためったにしてやんよ、という思いを込めながら切って、熱い鍋でぐったぐったに煮込んでやる。そんなわけで休みの日にシチューを拵えてやった。煮込まれやがっていく野菜を観察してると無心になっていく。むかむかが多少やわらぐ。

 

にんじんとじゃがいも、たまねぎ、それから冷蔵庫に眠ってたしめじ。鶏むね肉。

具材をテキトーに切って、炒めて痛めつけて、冷水をぶちまけて煮込んで最後にルーを溶かして牛乳を入れる。簡単だけど、今まで作ったことがなかった。(わたしはカレーの方が好きだ)

食べてみて思ったのだけど、シチューはけっこうお腹にたまる。近くのパン屋さんでサンドウィッチとフィッシュフライサンドを買ってきたのだけれど、サンドウィッチで満足したので、フィッシュフライサンドのほうは翌日の朝食にした。油ものも最近しんどく感じることが多い。そういうお年頃なんだね。

 

 

次の日の昼には、茹でたパスタを入れてカルボナーラ風に。

これも美味しい。そして、やはりお腹にたまるので満足感がすさまじい。

 

下手な散歩や運動をすると却ってストレスがたまるので、ご飯を自分で作って食べて片付けて、掃除してるほうがわたしには心地がいい。

 

最近知り合った人になぜだか、「ストレス解消に何してる?」と訊かれた。考えてみるとストレスを解消する方法なんて案外シンプルだ。無駄に料理好きアピールをしたくないわたしは、大体は「カラオケとか・・・」って答えている。でも、食べたいなと思うものを自分の手で作って食べるのは、意外と好きだ。料理はストレス緩和や癒しにつながる行為なのかもしれない。

 

酒と本と友情、そして少しの恋

 

「そう。毎晩毎晩、明け方まで飲み歩いてる酔っぱらいはみんな病気。寂しい病。息子もそうでしょう?家にひとりでいても寂しいから、用もないのに飲みに出かける。違う?」

---(略)---

「病気じゃない人は、ちゃんと終電で家に帰るのよ」

佳子さんはぼくを見て微笑んだ。

 

月に1日か2日ほどゴールデン街へ「通って」いたことがある。金曜の仕事終わりに新宿駅で降り、足早にアルタ前を通り過ぎて見慣れたドーナッツ屋のすぐ脇、魔界の入口を潜り抜ければそこは大人のわくわくワンダーランド。(?)

 

あの頃、金曜の夜というのは何故か、時間を歪ませる気がしていた。終電と言う概念なぞどうでもいいと言わんばかりに、わたしは朝日を感じるまでのあいだ、大人のワンダーランドを練り歩いていた。その場限りの友達を作り、様々な人の話に耳を傾け、はしご酒に興じていた。「寂しさ」という感情とは無縁だった、気がする。本来一人でいることを愛してた自分にしてみたら、「寂しい」から飲みに行っているという発想はなかったように思うのだ。始発電車に向かいながら、気怠く纏わりついてくる朝日を見て、現実に引き戻される瞬間が憎かった。

 

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馳星周さんの「ゴールデン街コーリング」読了したのだけれど、まぁ数年前に酔っぱらって練り歩いた場所とか、あのときの感情がちらほら蘇ってきて、何だか少し感傷的になりましたね。馳さんご本人の自伝的な感じみたいで、80年代のゴールデン街なので、今とは全然違う雰囲気だったのだろうとは思います。それでも、その場所を想像できる、何となく共感できる気がするのは、少なくともその場所を歩いたことがあるから。

 

冒頭にあげた通り、佳子さんという方がこの話の中で「病気じゃない人は終電で帰るのよ」と仰っていましたが、そうか!と今更ながらに膝を打ちました。

そうか、わたしはどうやら病気だったらしい。

コロナ期にほぼ飲みにいくことをやめ、まぁ去年の暮れとか年始とかはちょこっと飲みに行ったりもしたけれど、まぁでもそれでも数年前ほどの熱量はなくなっています。

 

どうしちゃったの・・って感じですが、まぁまた飲みに行ったら「病気」を発症してしまうんじゃないかなという気がしなくもないんですよね。一度病んだら、生涯病み続ける。そんな病気のような気がしてなりません。もう、「わたし」そのものが病気なのかもしれない。

 

本の感想ですが、ゴールデン街へ行ったことのある方にとっては楽しめるかな、と思います。青春物が好きな方にもおすすめですかね。

殺人事件が起こり、最終的に主人公が真相に気が付くのですが、ミステリという感じは薄いです。東野圭吾的なものを求める人には向いていません。(伏線もありますが、わたしはその前から何となく犯人はわかってました)

人物の心情にフォーカスしていて、主人公の感情やまわりの人との関りを丁寧に描かれてるのが良いですね。主人公がよくまわりの大人に奢ってもらったり、酒を飲む描写が多いので、とにかく酒が飲みたくなります。次の休みはビール飲みに行こう🍺

 

転職はあくまでも通過地点

転職しました。

業界でいうと「その他メーカー」に該当する会社で、営業事務として働きます。

 

前職が不動産業界だったので、同じ業界で探すことも一時期考えたりもしたけれど、敢えて違う業界へ行きたいと思い、別業界へ飛び込んでみることにしました。ほんとは出版系を目指していましたが、ハードワークという印象があったのと、あまりピンとくる求人がなかったため諦めました。いくら好きなものに囲まれたところであっても、そこが激務すぎて身体を崩してしまったら元も子もないです。(というか根性がないだけです。笑)

 

好きなことは趣味として、プライベートで楽しむ。じゃあせめて副業感覚としてやるのはどうだろうか?と思ったのが、今回の転職のきっかけの一つです。

そのためには自由な時間が少しでも多い方が良い。だから、せめてお休みが一般的な会社並みにはあってほしい。

 

9:00-18:00で残業ほぼなし。土日祝日お休み。事務。それでいて、年棒は前職以上の金額を提示していただけました。ボーナスはないらしいけれど、生活できるなら十分。

それに電車乗り換えなしで1時間かからずに通勤できるのも、高ポイントでした。

 

何を実現したいかによって満足度は変わります。さらに、入社時はいい意味でも悪い意味でも会社のことは何も分かっていないので、本当の意味での満足感を判断できないわけです。というか、社会人が職場に満足するなんてことがあるのか?

よほどのホワイト大企業でない限り、不満は際限なく湧いてくるんじゃないかなぁ。

不満があったところで、それを上手く乗り越えるような術を身に付けたり、発散しなければならないのですよね。だから、期待はしない。でも、諦めたくはない。社会人の皆様、心身ともに疲れない程度にがんばりましょう。

 

 

化粧水ジプシーを楽しむ

去年から使用していた豆乳イソフラボンの化粧水がなくなってきたので、次使うものとしてW/M AAA(ウーマンメソッドトリプルエー)の化粧水を購入してみました。初めて買う商品です。

マツキヨブランドのものらしく、1200円(税抜)だったかな。

 

ほんとは500円くらいで大容量の化粧水を買おうと思ってました。でも、肌がきれいな人は、クレンジングと化粧水と下地には拘っているというのを聞いたことがあるので、ちょっとだけ気にしてみた。結果、デパコスに成分が似ているとウワサのW/Mに。

 

ちょっと試してみたところ、使用感は若干とろみがあります。今まで使ってた豆乳イソフラボンと比べると少しさっぱりめかな?パッケージのスタイリッシュな感じが好きです。

冬から引き続き、春先もお肌の乾燥は気になるから、ちゃんとケアしなくてはならないですね・・・

 

毎回使っているものがなくなる頃に、その時に気になる商品だったりコスパの良さそうなものを買うので、「これ!」という定番はない。だけど、こういう新しさを取り入れるのも実は楽しいと思う今日この頃。

 

 

「成長」とはなんぞや?

最近職場での朝礼で、「成長」に関してスピーチをした。

ちょうど2年前に今の職場へ入ったときには、意識はしていたがあの当時はあまりはっきりとは考えていなかった「成長」という概念。

 

 

rolling-falling.hatenadiary.com

 

前置きでは

私が考える「成長した」と思う瞬間について話した。

①できなかったことができるようになったとき

②今まで触れたことがなかった価値観や考え方を受け入れられるようになったとき

 

 

話しながらも、つまんねぇ内容だよなぁ、なんて思っていた。(私はいつも担当になった当日の朝にネタを考えている不真面目な社員である)

 

自分が成長したと思う瞬間を客観的に言語化する機会なんてあまりないし、ほとんどの人は自身の「成長」なんて実はあまりよくわかってないでしょ、なんて思ったりもする。

大体は「評価されることが成長につながり、それがお金になれば儲けもの」と考えてるはず。わかり易い結果に目が行きがちなんだろうな。仕方ない、だってにんげんだもの

 

成長できる環境って何?ってことよりも、より穏やかに、まわりと協力しながら過ごせる方が良くないか?と最近では思うようになってきた。歳を取ったせいなのだろうか。

 

評価制度を取り入れる職場はけっこう多いのかもしれないけれど、職場での仕事や立ち振る舞いすべてを数値化して評価して、それが本当に自身にとっての成長につながるのか?と思うようになってきた。ある職場で評価されたとしても、それって他の会社へ行ったら全然意味のないことだったってことにもなるかもしれないし。

 

ていうか、そもそもその会社の上層部に気に入られたところで、それが何になるのか?むちゃくちゃ性格悪い奴らが、表面だけ取り繕って必死に評価を上げて貰ってる様を見た日にゃ、「お前(上層部)らが高く評価してる人間がどういう人物なのか、本当にわかってんのか?」と言いたくもなる。

 

何が言いたいかっていうとですね、今の職場に魅力を感じなくなったよってことなんですよね。いろいろあって、何だか疲れてしまった。ちょっとした燃え尽き症候群みたいなものなのかもしれない。ここ数か月間、何故だか眠くて眠くて、夜寝ているはずなのに、全然疲れが取れない気がしていて。朝起きるたびに絶望している。

電気点けっぱなしで眠ってしまうことも多くなった。宅建試験までは何とか気持ちが保てたけれど、その後は何かの糸が切れてしまったようです。

 

今後自分はどうしたいかな?と考えた時に、まっさきに思ったのが、「もう評価制度なんて存在しないところへ行きたい」という気持ちでした。明らかに疲れている、と感じる。

 

マイナスシンキングになってしまっている現段階では、おそらく今後のことをきちんと判断はできないかもしれない。でも、早いうちに自分自身と向き合って、きちんと解決できるようにしていきたいなと思う今日この頃。